クリスマス会議の意味

普遍アントロポゾフィー協会の創立


1923年12月24日、普遍アントロポゾフィー協会の創立総会が第一ゲーテアヌムの焼け跡で行われました。

第一ゲーテアヌムは1922年12月31日夜、敵対者の放火により灰塵と化したのです。
この建築は、シュタイナーの「神秘劇」四部作上演のための劇場とアントロポゾフィー運動の拠点として、第一次世界大戦前の1913年から多くの芸術家達が集い、精力的に活動して創り上げてきたものでした。


普遍アントロポゾフィー協会の前身組織「アントロポゾフィー協会」(1912年設立)は存続の危機に立たされました。クリスマス会議以前、ルドルフ・シュタイナーは講師という立場で協会に関わっていて、会員ですらありませんでした。運営や管理といった地上的なことに関わることにより、精神界が離れていく危険があったからです。秘密結社として気心の知れた人々と小さなグループで活動していくか、公開された協会として再建を目指すか。クリスマス会議の直前まで、シュタイナーは新しい協会の代表を引き受けるか決めかねていましたが、最終的に協会の代表を引き受ける決断をいたしました。

その決断とは、アントロポゾフィーの事柄とアントロポゾフィーの器としての協会の管理について両方を引き受けることであり、それは公開性と秘教性を結びつけることになります。この決断を精神界は支持しました。その後も精神界からの助力は途切れることはありませんでした。


クリスマス会議において普遍アントロポゾフィー協会定礎式は行われ、集まった人々は、魂の中に「定礎の言葉」を埋めました。この言葉は、シュタイナーによる「アントロポゾフィーの要約」であり、彼の人間観・世界観の全てが込められています。


アントロポゾフィー協会の再建の基盤の上に、シュタイナー教育やアントロポゾフィー医療、バイオダイナミック農業等実践的運動が世界的な広がりを持つことになりました。